建築があって、そこに庭がある
いつもその事について考えるとあっというまに1日が経つ。
勿論、建築が無くても庭は確立する。
単純に建物、構造物が無くても回遊式庭園や公園、植物園など緑で形成された空間などは沢山ある。
それはそれで素晴らしい空間だと思う。
マンション暮らしの人や自宅に庭の無い人達はそこに足を運び緑を浴び、楽しみ、癒されて要るのだから。
山、沢、海、に行った時「うーん♪気持ちいい~!」
ってなるあの感覚である。
その感覚を単純に住宅の庭にいつも取り込みたいと思っている。
庭の木々を見て、庭を歩いて、庭で飯食べて、庭でお茶して、庭で昼寝して「うーん♪気持ちいい~!」って感覚。
文書にするのは簡単だが実際に1つの庭に全部を創るのは難しい事である。
何故なら、観賞する庭、散策する庭、皆が集う庭、全て異なる庭であるから。
全く違う事を無理やり綺麗に1つの庭に纏めようとするから大抵ごちゃごちゃと訳わからん庭になってくる、しかし京都での経験上、いつも最後は茶庭に繋がって行く。松や槙を観賞し、茶室までの導線があり、少し開けた所に野点の茶会など行う場所がある。
茶室と現代建築、松と雑木、飛び石とアプローチ、芝生など時代の中で細かく使われる物は異なってきたが根本的には同じ事だと思う。
そこまで考えた茶庭は茶室の為であり茶道の為の一部に過ぎない。
そう考えると建築に緑を溶け込ませ、庭が施主の生活の一部になり、家族や親しい人達の集いの場になり、尚且つ「うーん♪気持ちいい~!」って感覚は絶対!って事であるのだから、造園の仕事はやはり面白過ぎる。
面白いだけでなく、毎回、責任も重大である。なので自分の成長だけが頼りに日々色んな形を考える。
このテーマは自分にとっていつもベースとなっているので、ちょっと書いてみた。